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2010年09月17日

伝説のスピーチ

先日、セミナーで1992年の環境サミットでスピーチした12歳の少女・セヴァン・カリス・スズキの映像を見せてもらいました。「あなたが世界を変える日」という本にもなっているので紹介します。





スピーチの中で「私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとわけが違うんですから。」

「オゾン層に開いた穴をどうやってふさぐのかあなたは知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、
あなたは知らないでしょう。」

どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。

こんな言葉があり少し胸が詰まりました。

ユーチューブの映像もあったので載せておきます。
約6分間の感動するスピーチです。

ということで、環境整備を身近なところから実施するため、
9月26日(日)沼津千本浜公園付近のゴミ拾いをすることにしました。
詳細は「クリーンピース☆護美広いの会」のブログにて
http://soujinokai.i-ra.jp/   


Posted by 泰青パパ at 10:31 Comments( 0 ) いい話

2009年12月11日

シークレットサンタ

泰誠の1歳ぐらいかな?サンタの格好をさせたデータが携帯に入っていました。懐かしいです。



先日テレビを見ていたら、シークレットサンタというお話をしていました。「クリスマスは誰もが幸せになれる日」といっていたシークレットサンタの生みの親のテッドさんの言葉が印象的でした。クリスマスも近くいい話だったので、ネットもう少し詳しく調べてみました。

シークレットサンタ物語で出ていたので、アドレス紹介します。
http://www.personslink.com/secretsanta.html

以下、内容そのまま添付します。

アメリカでクリスマスになると、貧しく困っている人々に現金をプレゼントする男性がいた。
彼はいつしか『シークレットサンタ』と呼ばれるようになった。
「秘密のサンタクロース」として名前を明かしたのは
中西部ミズーリ州のカンザスシティーの郊外に住むラリー・スチュワートさん(58)の話です。


 「ほかの誰かを助けることこそが、私たちの生きる目的なのだ」


1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に迷っていた。あまりの空腹に耐えきれず、
ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまった。
請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気づいた。
そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、
警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時だった。
一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、
20ドル札(現在約2400円)が落ちていたと渡してくれたお陰で、彼は会計を済ませることができた。

だがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を変える重大な鍵となる。

1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費にカンザスシティに移り住んだラリーは、
警備関係の会社を起こして懸命に働いた。
結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えた。

1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追いつめられた。
貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。
だが、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。

改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働いた。
だが彼はまたしても試練を与えられる。

1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのだ。
もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。
ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。
店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。

ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントした。
彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡した。
この日はクリスマスだった。
女性は嬉しそうに礼を言った。

その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになった。

そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、
白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。
そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。

シークレットサンタが誕生した瞬間だった。

20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで受け取ってもらえた。
それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。

家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかったと聞かれた。
ラリーは落としてしまったと答えた。
すると妻は怒るどころか、
『仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね』
と微笑むだけで文句を言わなかった。

翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。
そしてその年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けた。
そしてその金額は少しずつ多くなっていった。

不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、
長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになった。

ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。
彼は家族にも言っていなかったのだ。

彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのだが、
9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまった。

すまないと謝るラリーに、妻は
「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」
と答えた。

以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。

1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じた。

カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。
しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心はさらに高くなった。
一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。
そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。

その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。
28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。
本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気づいた。

20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。

男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。
ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話した。
そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。

自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、
ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した。
受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引かなかった。
当時テッドは、警察に突き出すのではなく、
自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。
それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話している。

テッドさんはラリーさんから渡された1万ドルを、
近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。
人を思いやる気持ちは健在だった。

そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。
2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、
ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。

2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、
27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になった。

だが昨年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かした。
彼は昨年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。

正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、
身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、
マクガイヤー記者は話します。

その反響は大きかった。
2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。
大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。

その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行った。
そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。
今年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。
それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込まれただろう。

生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、
会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。
今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない。





  


Posted by 泰青パパ at 10:11 Comments( 0 ) いい話

2009年10月17日

強い子

毎月自分で書いている通信で、今月号の題材として福島正伸氏の「強い子」というお話を載せました。いい話なので紹介します。原文と少し違う箇所もありますが、最後に原文を画像で見れるユーチューブ載せました。みてください。

福島先生はある日、一枚の写真を目にした。

それは難病の女の子の写真で、頭や体のあちこちに器具がとりつけられ、見るに耐えないような姿でした。 その彼女のお母さんはいつも「何でうちの娘だけがこんな姿にならなければいけないの?」と泣き崩れていました。

それを見て彼女は、お母さんに心配させないようにと笑顔で迎えるようなりました。

「痛くないの」と言われても「痛くないよ」と笑って答え、 「夜は寝れるの?」と聞かれたら「ぐっすり寝れる」と笑うそうです。

しかし、お母さんが帰ると「痛い痛い」と泣きながら夜も寝れないそうです。

そんな彼女は童話が好きで自分でつくることもあるそうなんです。 彼女が作った「強い子」というお話です。

 それは彼女が生まれる前のお話です。 ある日、彼女は、神様に呼ばれました。

神様のところにいくと、既にたくさんの赤ちゃんたちが、並んで待っていました。

そして、一人ひとりがプレゼントを神様にもらっていました。 「この町に生まれたい」と言えば、その町に生んでくれます。

彼女の番がやってきました。 ふと見ると、神様の後ろに「重い病気」というプレゼントがあるのを見つけました。

「これは誰がもらえるの?」 と神様に聞くと神様は答えました。

「これがもらえるのは、一番強い子だよ。なぜなら、このプレゼントをもらった子は、生きている間、ずっと苦しむことになるから」

その時、彼女はこう思ったのです。 「もし、自分以外の子がこのプレゼントをもらって生まれてきたとしたら、自分がその子に会った時にとってもつらいキモチになるだろうな」 そして、彼女は神様にお願いしました。

「私が一番強い子です。他の子には、絶対にあげないで。私なら耐えてみせる。

他の子が苦しむのは絶対に嫌だから、そのプレゼントは私に下さい」 そう言って彼女はそのプレゼントを受けとったんです。

ある説によると、人間の遺伝子は、すべての人がほんの少しずつ違っているそうです。

それは、すべての人が、体質が違う人間となって生まれるためだそうです。

その理由は、たとえ一つの恐ろしい病気が人類を襲ったとしても、その病気にかかりくい体質をもった人が生まれるようにするためだそうです。

それによって一つの病気が人類を滅ぼすことはできなくなるからです。

ただ、そのためには、誰かが難病にならなくてはいけないらしいのです。 難病の子どもたちは、人類にとって最も大切な存在なのかもしれません。

 すべての人に、生まれてきた理由があります。 それは、自分で見つけだすことができます。

自分が置かれている状況がどんなに厳しいものであったとしても、そこにこそ自分の役割があるのかもしれません。

大切なことは、自分が置かれている状況を嘆くよりも、自分が置かれている状況の意味を考えてみることです。

意味のない状況はありません。 意味を見出そうとすれば、必ずそこには重要な意味があることに気づくはずです。

私たちが人間として生まれてきたのは、まわりの人々だけでなく、他の生物や未来の地球にとって必要な存在だからなのです。

難病や障害者でなくても、今置かれている現状を悲観する時が自分自身よくあります。

今なぜこういう状況に置かれているか、成長する為の試練と受け止め、前向きに行動する自分でありたいと思います。

原文がユーチューブの画像にもあるので、載せておきます。
  


Posted by 泰青パパ at 01:13 Comments( 1 ) いい話

2009年10月11日

儲かるシステム2

ロバートキヨサキの書いたキャッシュフロークワドランドという本の中で寓話が出てきますが、とても分かりやすい話なので紹介します。ちょっと長いですが、この話を読んで自分の置かれている状況を振り返ることが出来れば、新しい行動のヒントになるかもしれません。子供にも大きくなったら聞かせたい話のひとつです。




昔々あるところに、ひなびた村があった。そこはたいそう暮らしやすかったが、一つ大きな問題があった。というのも、その村では雨が降らないと水が手に入らなかったのだ。この問題を解決する為に、長老たちは村に毎日水を運んでくる仕事を引き受けてくれる人間を募ることにした。そして、名乗り出た二人と契約を交わした。長老たちはたとえ一人でも競争相手がいれば、価格を安く押さえることができ、また、一方に支障があった時にも水に困らないですむと考えたのだ。

契約を勝ち取った二人のうち一人はエドという男だった。エドは契約が決まるやいなや外に飛び出し、鉄のバケツを二つ買ってきて、1マイル離れた湖に向かって駆け出し、せっせと水を運び始めた。こうして毎日朝から晩まで二つのバケツで水を運び続けたエドのもとには、すぐにお金が舞い込んできた。エドは運んできた水を、村の人たちが作った大きなコンクリートのタンクに流し込んだ。毎日エドは村の誰よりも早く起き、必要なだけの水がいつもタンクの中にあるようにしなければならなかった。辛い仕事だったが、お金が入ってくるのがうれしかったし、この契約を勝ち取った二人のうちの一人になれたことを喜んでいた。

もう一方のビルは、契約を結んだあとしばらく村から姿を消した。数ヶ月過ぎてもビルは戻ってこなかった。エドは喜んだ。競争相手がいなくなったからだ。エドは水の代金を独り占めしてほくほく顔だった。

ビルにはバケツを二つ買ってエドと競うつもりはなかった。その代わりビジネスプランを立て、会社を興した。そして、4人の投資家を見つけ、実際に現場で仕事をする社長を雇い、6ヵ月後、建築作業員を引き連れて村に戻ってきた。1年後、ビルの会社は村と湖を結ぶステンレスのパイプラインを完成させた。

パイプラインの開通を祝う式典の席上で、ビルは自分の所の水はエドが運ぶ水よりもきれいだと皆に告げた。エドの水に土が混じっていると文句を言う村人たちがいることをビルは知っていたのだ。ビルはまた、自分の会社は1週間に7日、24時間休みなく水を供給できると告げた。エドは週末は働かなかったので、水が運ばれてくるのは月曜から金曜までだった。そのあと、ビルは、より高品質で信頼性のあるこの水の供給サービスに対する料金をエドの料金の4分の1にすると発表した。村人は大喜びでビルが作ったパイプラインの蛇口に飛びついた。

ビルとの競争に勝つ為にエドはすぐに水の料金を4分の1に下げ、新たに二つのバケツを買った。そして4つのバケツすべてにふたをつけて水を運び始めた。また、サービスの質を高める為に、二人の息子を雇い、交代で夜や週末も水を運ぶことにした。息子たちが大学に進むために村を出る時、エドは息子たちにこう言った。
「早く帰って来るんだ。このビジネスはいつかお前たちのものになるんだから」

でも、大学を終えた二人の息子はどういうわけか村に戻ってこなかった。その頃にはエドは人を雇うようになっていたが、それと同時に組合の問題もかかえるようになっていた。組合は賃上げと福利厚生の充実を要求し、さらに、組合員は一度にひとつのバケツしか運ばなくていいようにして欲しいと求めてきた。

一方ビルは、もしこの村に水が必要ならば、他の村だって必要としているに違いないと考えた。そして、ビジネスプランを書き直し、世界中に散らばる未開発の村を訪れ、自分が考え出した高速、多量、安価、高品質の水の供給システムを売って歩いた。ビルの儲けはバケツ1杯分の水につきわずか1セントだったが、毎日の供給量は相当な量に達した。だから、ビルが実際に身体を動かして働かなくても、世界中で何百万人という人が1日にバケツにして何杯もの水を使い、そこから入るお金がすべてビルの銀行口座に流れ込んだ。ビルは村に水を運ぶパイプラインを建設すると同時に、自分の所にお金を流し込むパイプラインも作っていたのだ。

ビルはそれからずっと幸せに暮らし、エドの方はずっと必死で働き続け、お金に苦労する生活を続けましたとさ。おしまい。
  


Posted by 泰青パパ at 06:36 Comments( 3 ) いい話

2009年08月05日

プレゼント②

昨日の続きです。仲間から誕生日プレゼントを頂きました。画像アップ!





本当のプレゼントの意味教えます。

次のような銀行があると考えてみましょう。
その銀行は 毎朝あなたの口座へ86400ドルを振り込んでくれます。
同時にその口座の残高は毎日ゼロになります。
つまり86400ドルの中で、あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。
あなただったらどうしますか。もちろん毎日86400ドル全額を引き出しますよね。
私たちは一人一人が同じような銀行を持ってます。 それは”時間 ”です。
毎朝、あなたに86400秒が与えられます。
毎晩、あなたがうまく使い切らなかった”時間 ”は消されてしまいます。
それは翌日に繰り越されません。それは、貸し越しできません。
そして毎晩その日の残りは燃やされてしまいます。
もし、あなたがその日の”預金 ”をすべて使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。
過去にさかのぼる事は出来ません。
あなたは今日与えられた”預金 ”のなかから”今 ”を生きないといけません。
だから、与えられた”時間 ”に最大限の投資をしましょう。
そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大のものを引き出しましょう。
時計の針は走り続けています。
今日という日に、最大限のものを作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう
1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょ。
1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避ける事が出来た人に聞いてみるといいでしょう。
10分の1の価値を理解するには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。
そして、あなたの持っている”時 ”を誰か特別な人と過ごしているのだから十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。
そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。
”昨日 ”は、もう過ぎてしまいました。
”明日 ”は、まだわからないのです。
”今日 ”は、与えられたものです。
だから、英語では”今 ”をプレゼント(=PRESENT)と言います。

友達はとても貴重な”宝石 ”です。
それは、あなたに笑顔と、成功するための勇気を与えてくれます。
それは、あなたのことを聞いて、あなたを誉めて、 あなたへ心を開いてくれます。
あなたは友達の輪を持っています。
大切なのは”今 ”です。輪を広げましょう。
一日、一分でも、みんなが特別な人生を過ごすために。

この文を読んで思った今のその気持ちを大切に…   


Posted by 泰青パパ at 23:55 Comments( 0 ) いい話

2009年07月18日

一番大切なお金

今回の話は、沼津経営塾で講師をして頂いている、オリジン・コーポレーションの杉井保之氏の機関誌「こおろぎ」の話の中の抜粋ですが、今月の沼津経営塾5周年講演会でも講演をしてくれます。



自社の通信にも載せましたが、心に残る自分の中で心に残るお話です。ちょっと長いかもしれませんが、読んでみてください。

その施設には、翌日で卒園する一人の少女がいました。彼女は、母親が失踪し、父親が肝臓病で入院をしたため、施設に預けられたそうですが、12歳になってもまだお金の区別が出来ませんでした。施設を出てから彼女が困らないようにと、女性職員が一円硬貨から一万円札までを順に並べて「このお金が五つで、これだよ」と、卒園していく彼女にお金の種類を教えていました。

翌朝、私が出発の準備をしていると、その職員が「よかったら彼女の勉強の成果を見ていってください」と言うので、彼女の卒業試験に立ち会うことになりました。テストの前に職員さんは、もう一度お金を並べて、「このお金が五つで、これだよ」と説明したあとに、「この中で一番大切なお金はどれ?」と彼女に尋ねました。

私は、これだけ説明すれば当然一万円札を指すだろうと思って見ていたのですが、その子はニコニコしながら10円硬貨を指差したのです。「あれあれ!」と思って見ていると、その職員さんはガッカリした様子も見せずに、「ごめんね。教え方が悪かったね。もう一度説明するね」と言って、また「このお金が五つで、これだよ」と説明を始めました。その職員さんの姿には本当に頭が下がりました。

その説明が終わると、職員さんは彼女にもう一度「この中で一番大切なお金はどれ?」と、尋ねました。
私は「今度こそ一万円札を指すだろうな」と思って見ていたのですが、その彼女は嬉しそうに微笑みながら10円玉を指差したのでした。

さすがに今度はその職員さんもガッカリした表情で何かつぶやいたあとに、「どうしてこれなの?こっちじゃないの?」と一万円札を指差しました。すると彼女は笑いながら「これがあるとお父さんの声が聞こえるんだもん」と10円玉を指差したのです。

携帯電話を持たない彼女にとって公衆電話が父親の声を聞ける唯一の手段だったのです。この彼女の言葉は、本当にショックでした。「一番大切なお金」と言われて、一万円札だとばかり思っていた自分が本当に情けなくなりました。私よりも知的障害を持ったこの子のほうがよほど大切なものを知っていると思ったのです。                                (「こおろぎ」2007年3月1日No169より抜粋)

自分でも気づかないうちに、お金で価値を考えてしまうことがあります。本当に大切なものはお金では買えないものです。
いろいろな事を楽しむのにお金は必要です。お金があったほうがないよりも幸せになれると思います。しかし、お金があっても不幸な人はたくさんいます。お金を儲けるために身体を壊したり、友人を失ったりしている人もいます。こういう話を聞いて少しでも優しい気持ちになれればいいと思いました。

7月23日(木)に三島商工会議所で講演会があります。この話を教えてくださった先生の話です。興味のある方はSTK製作所HP内のブログにて案内があるのでみてください。

    


Posted by 泰青パパ at 19:07 Comments( 3 ) いい話

2009年06月19日

エコキャップ

ペットボトルのキャップを集めて、世界の子供たちにワクチンを届けよう!ということでエコキャップを回収中です。

沼津の仲間のところでも集めていますが、三島でも主体的にやっていきたいなと思っています。




Aiドリームプロジェクトというボランティア団体を通じて、全国で回収が行われていますが、沖縄の方では施設のゴミ拾い清掃活動をボランティアでやりながら、そこから出るゴミのペットボトルのキャップを了解を得て回収し、集めているそうです。



キャップ400個でポリオ(小児麻痺)ワクチンになります。そのほか、結核なら140個、ジフテリア・百日咳・破傷風なら180個、はしかなら1900個のキャップで1本のワクチンになるそうです。

きれいなキャップでないとダメらしいのですが、もし、キャップ回収をさせていただける方がいましたら、ご連絡お待ちしています。
回収に回れるようにしたいと思います。それか近くの回収設置場所をお知らせします。   


Posted by 泰青パパ at 02:55 Comments( 0 ) いい話

2009年04月06日

はがきまつり

昨日、静岡はがきまつりに行ってきました。講演会で本当に大切なのは損得だけではなく、やさしく生きられるかどうかにもよるという話を聞いて、自分を反省しました。良い縁を頂いて感謝しています。
発表をして鈴龍の鈴木教司さんに言葉を頂きました。



沼津経営塾で講師の杉井さんの講演です。杉井さんの横の花は、ココイチのIさんとYさんからの贈り物です。きれいでした。



そんなココイチ組に今日は3時のおやつにロールケーキを頂きました。
哲ちゃんも美味しそうに食べてました。ありがとうございました。




  


Posted by 泰青パパ at 22:47 Comments( 0 ) いい話

2009年01月11日

後藤昌幸氏講演会

昨日、静岡経営塾主催の講演会が静岡であり、行ってきました。
ダイハツの元社長の後藤昌幸氏の話でしたが、赤字会社をあっという間に黒字にした内容を少し聞いてきました。
耳の痛い話が多かったですが、「うぬぼれるな、へこたれるな」の精神が伝わってきて良かったです。









サインもらいました。



  


Posted by 泰青パパ at 12:17 Comments( 0 ) いい話

2008年12月16日

刺青ボクサー

先日、家の掃除をしながら、テレビをつけていたら、刺青ボクサー・川崎たつきの番組がやっていました。徳光さんや周りの出演者も泣いていました。内容は全部見れませんでしたが、引退年齢に近づき、家族の支え、両親の支えに、応援してくれるファンの支えに心から感謝している姿をみて、派手ではないけれども、なぜか感動してしまいました。

大学時代、自分もボクシングをやっていましたが、今はもうできません。でもほぼ同じ年齢でチャンピオンを夢見て最後まであきらめずやり続ける姿、何かあると辞めたくなりそうな自分に勇気を与えてくれるような気がしました。

出来るか出来ないかではなく、自分がやるかやらないかの境地なのだと思います。自信が無くなり、会社を辞めたくなったりするときもあります。でも今まで支えてくれた人たちに何か恩返しできるものがないか考えた時に、このまま終わってたまるかという思いも同時に湧いてきます。

不景気ではありますが、自分の出来ることを地道に積み上げていきたいと思う今日この頃です。



  


Posted by 泰青パパ at 23:57 Comments( 0 ) いい話

2008年12月06日

折鶴

先日直接の知り合いではないですが、ガンで入院している仲間の為に折鶴を作ってくれないかと頼まれて作っていました。子供にも見せながら少しですが作っていきました。残念ながらその人は亡くなられたのですが、その人の生い立ちを聞くと涙が出てきます。

高校生の時に無免許運転の車にはねられ、障害者になり、就職もままならない状況でも人一倍頑張って正社員になり、身体が不自由でもマラソンを走りぬいたり、たくさんの困難を乗り越えてきたのに、最後は43歳の若さでガンで亡くなります。
(詳しくはオリジンコーポレーション杉井保之氏が発行している「こおろぎ」(今月の増刊号)に掲載されています。)

自分の父もガンでしたが、末期の頃はとてもせつなかったです。
でも「どれだけ長く生きるかよりもどれだけ真剣に生きるかの方がもっと大切なことだ」と教えられたような気がします。子供にもそういう生き方を見せられるようにしていきたいと思いました。

折鶴

  


Posted by 泰青パパ at 19:14 Comments( 0 ) いい話

2008年12月03日

命日

12月3日、今日は父の命日です。9年前にガンで亡くなりました。(60歳でした。)色々としてもらったことたくさんありますが、今は自分が父親をしているので、あと何年生きるか分かりませんが、悔いのない人生をおくりたいなと思います。

数年前に実家を新築しましたが、家を作ってくれた大工さんは父の知り合いで、昔会社が潰れそうになったときに父が資金援助をしたそうです。その時の恩返しにと父が亡くなった後に、家を作りに来てくれたそうです。(ただではありませんがかなり安くしてくれたようです。)こういう徳を積んで、自分がいなくなったときでも、家族に残せるものが1つでもあればいいなと思う今日このごろです。

北海道の実家



家の仏壇


  


Posted by 泰青パパ at 23:43 Comments( 2 ) いい話

2008年10月22日

しつけ

先日経営研究会の講演会でいい話が聞けましたが、以前にも聞いていた森信三氏という方のしつけの3原則を紹介します。

1、朝、必ず親に挨拶する子にすること

2、親に呼ばれたら必ず、「はい」とはっきり返事の出来る子にすること

3、履き物を脱いだら、必ず揃え、席を立ったら必ず椅子を入れる子にすること

この三つのしつけが出来れば、子育てOKだそうです。色々考えすぎてる時は気が楽になりますね。

森信三

  


Posted by 泰青パパ at 09:09 Comments( 0 ) いい話

2008年10月10日

ウサギとカメ

昨日沼津経営塾に参加して、ウサギとカメの話の真実を聞いてきました。rabbit 01

最後はカメが勝つのですが、普通そこで得る教訓はコツコツと頑張れば勝てるとか、ウサギのように油断してはいけないよと言うものですが、中小零細企業にとっての教訓として、1回は勝てても2度目はないということ、自分たちがカメだとしたら、陸では戦わず、水の中で勝負することなど、それぞれ持った特性を最大限に活かすことが大事だと言っていました。

長所、短所色々ありますが、特性を活かせるように仕事もしなければと思う今日この頃です。

今日はカメの写真をと思いましたがありませんでした・・・。   


Posted by 泰青パパ at 09:09 Comments( 1 ) いい話

2008年10月08日

ココイチ

先日、勉強会の仲間でココイチのオーナーの岩崎さんがロールケーキを持ってきてくれました。美味しかったです。ありがとうございました。
ロールケーキ



そこで働いているYさんの行動でいい話があるので、ちょっと紹介します。

障害を抱えた10歳のお子様をお持ちのお母様が親子で来店され、客席が空いてる状態だった為、角の席へ座ろうと奥へ向かっていたところ、お子様が車椅子だった為、Yさんが可動イス用のテーブルをお勧めし、家族で向き合って食事ができたということです。

そのご家族の食事中に、店内は大忙しの状況になっていったとのことですが、気を配りながら運営をし、声を掛け、ぬり絵も描きやすいように咄嗟にダンボールで台をつくって差し上げる等の気配りをし続けました。小さなお子様に対して気配りされるのと同様に、障害を持たれた10歳のお子様に対しても、食事中にタオルの交換や、スキンシップまでとれる店員さんはそうおらず、安心して食事ができたと大変喜んでおられました。

過去にもYさんに対するお褒めは多数いただいており、中にはお電話中に感極まって涙される方もおられるような心温まる声掛けや接客がされています。今回のお客様は是非、障害を持つ親の会の会報にYさんのことを紹介したいという事です。


沼津経営塾で書いているブログで紹介があり、朝礼でも取り上げて見ました。サービス業でも製造業でも人と接していく以上、人の痛みの分かる人間になれるように、また、そういう心配りができるようになりたいと思いました。



Yさん(沼津インター店)

  


Posted by 泰青パパ at 21:10 Comments( 0 ) いい話