2009年12月31日
活ホタテ
北海道の実家から年末のお歳暮で活ホタテがきました。
久しぶりに貝殻剥きをしてみました。泰誠もボールを頭にかぶり、準備万端で手伝い?(邪魔)をしてくれました。

今年の貝は大きいです。年末年始の食材が届き、良い年を迎えられそうです。ありがとうございました。

久しぶりに貝殻剥きをしてみました。泰誠もボールを頭にかぶり、準備万端で手伝い?(邪魔)をしてくれました。

今年の貝は大きいです。年末年始の食材が届き、良い年を迎えられそうです。ありがとうございました。

2009年12月31日
年末お墓参り
昨日は御殿場にあるお墓参りに行きました。


今年1年の感謝をこめてお参りです。南無妙法蓮華経・・・日蓮宗でした。
泰誠もお墓の掃除を一緒にしました。(初めて手伝っているのを見たかも!)

ちょっと水遊びに近い感じが・・・。

今年1年の感謝をこめてお参りです。南無妙法蓮華経・・・日蓮宗でした。
タグ :お墓参り
2009年12月31日
3億円
今年ももう終わりですが、年末ジャンボは皆さん買ったでしょうか?
自分は買いませんでしたが、母と妻は神社の掃除をしたあと買いに行きました。(ご利益があるかな?)
今年のブームの引き寄せの法則を実践中です。3億円の小切手のコピーを机の前に貼ってあります。(妻の・・・)

イメージトレーニングだけは完璧です!(妻の・・・)
自分は買いませんでしたが、母と妻は神社の掃除をしたあと買いに行きました。(ご利益があるかな?)
今年のブームの引き寄せの法則を実践中です。3億円の小切手のコピーを机の前に貼ってあります。(妻の・・・)

イメージトレーニングだけは完璧です!(妻の・・・)
2009年12月30日
2009年12月29日
仕事納め
今日で仕事納めです。1年間ありがとうございました。
今年は忘年会をしなかったため、最後になりましたが事務所で今年を振り返りながら、お疲れ様の乾杯をしました。

皆本当に頑張ってくれました。来年もいい仲間と共に頑張っていこうと思います。
今年は忘年会をしなかったため、最後になりましたが事務所で今年を振り返りながら、お疲れ様の乾杯をしました。

皆本当に頑張ってくれました。来年もいい仲間と共に頑張っていこうと思います。
2009年12月28日
スター線
笑っていいともの特番で手相のコーナーがあり、家族で手相を見ていました。
年末ジャンボを本気で当てにいっている妻は薬指の付け根に強運MAXを示すスター線を書き込んでいました
・・・。


気づいた人はいるかもしれませんが、妻子とも5%しかいないというKY線(空気読めない線)がくっきりと
・・・。
年末ジャンボを本気で当てにいっている妻は薬指の付け根に強運MAXを示すスター線を書き込んでいました


泰誠の手相も見てみました。

気づいた人はいるかもしれませんが、妻子とも5%しかいないというKY線(空気読めない線)がくっきりと

2009年12月28日
お餅
昨日、友人がつきたての大きいお餅を持ってきてくれました。ありがとうございました。
大根おろしや納豆をトッピングして食べました。おいしかったです。


母と妻がお餅の話をしていたら、本当にお餅がやってきたそうです。引き寄せの法則恐るべし・・・。
しかも、お正月の鏡餅どうしようかなと話していると、これもまた、お正月用にお餅をついている母の友人からもらえることに・・・。念力親子でした。
大根おろしや納豆をトッピングして食べました。おいしかったです。
泰誠くんは何もつけずそのままがぶりと食べていました。

アイロン台ぐらいの大きさでビックリしました。

母と妻がお餅の話をしていたら、本当にお餅がやってきたそうです。引き寄せの法則恐るべし・・・。
しかも、お正月の鏡餅どうしようかなと話していると、これもまた、お正月用にお餅をついている母の友人からもらえることに・・・。念力親子でした。
2009年12月26日
クリスマスプレゼント
今年のサンタさんのプレゼントは何かな?

「バムとケロの寒い朝」という絵本と「世界の国旗」の本でした。(ちょっとマニアック?)

今週はおたふくで保育園も休み、ストレスがたまっていたようですが、喜んでくれました。
枕元にそっと置いてみました。朝気づくでしょうか?

「バムとケロの寒い朝」という絵本と「世界の国旗」の本でした。(ちょっとマニアック?)

今週はおたふくで保育園も休み、ストレスがたまっていたようですが、喜んでくれました。
2009年12月24日
伊豆急全線ウォーク
伊豆急の伊東から下田まで各駅をウォーキングする企画があります。
友人が来て伊東から下田まで駅から駅へと歩き、ピンバッチを各駅でもらい、額縁までもらって自慢していました。
電車好きの泰誠パパとしては、何とか休みを利用してピンバッチをゲットしなければと計画中です。
短い距離の駅区間なら家族で歩くのもいいかな?年末年始やってみるか・・・きっと・・・。

友人が来て伊東から下田まで駅から駅へと歩き、ピンバッチを各駅でもらい、額縁までもらって自慢していました。
電車好きの泰誠パパとしては、何とか休みを利用してピンバッチをゲットしなければと計画中です。
短い距離の駅区間なら家族で歩くのもいいかな?年末年始やってみるか・・・きっと・・・。

2009年12月23日
メリークリスマス
今日は1日早くメリークリスマスです。
明日は残業になりそうなので、祝日を利用してご馳走を食べました。
北海道からの来た海産物などで手巻き寿司をしました。美味しかったです。
締めは近くの村の駅で買ったクリスマスケーキです。
サンタの衣装を着ないとケーキは食べられないよと言ったら、泰誠くんそそくさと着替えだしました。(帽子だけ大人サイズです)



明日は残業になりそうなので、祝日を利用してご馳走を食べました。
北海道からの来た海産物などで手巻き寿司をしました。美味しかったです。
締めは近くの村の駅で買ったクリスマスケーキです。
サンタの衣装を着ないとケーキは食べられないよと言ったら、泰誠くんそそくさと着替えだしました。(帽子だけ大人サイズです)

ママとばあばと泰誠のスリーショット(似てる?)

やっとケーキが食べれるって記念写真?

2009年12月22日
おたふく?
昨日、保育園から泰誠が熱を出したので迎えに来てくださいとの連絡がありました。
とうとう我が家にもインフルエンザが!と思いきや
今朝は熱も下がり、顔が腫れて?いました。もしかしておたふく?
最近流行っているようです。

とうとう我が家にもインフルエンザが!と思いきや
今朝は熱も下がり、顔が腫れて?いました。もしかしておたふく?
最近流行っているようです。
いけてない顔の泰誠くん

2009年12月21日
ピスタチオ
先日野菜のお歳暮が届きました。ありがとうございました。
その中においしいピスタチオが!ダイエット明けのお酒に最高のおつまみでした。

食べすぎでちょっと太ったかも・・・年末年始は油断大敵です。
その中においしいピスタチオが!ダイエット明けのお酒に最高のおつまみでした。

食べすぎでちょっと太ったかも・・・年末年始は油断大敵です。
2009年12月20日
2009年12月19日
右内神社掃除
今日は会社の掃除の会で近所の神社の掃除をしました。
枯葉がたくさんあって大変だと思っていましたが、前々日あたりの強い風で枯葉が端っこの方に集まっていたので短い時間で掃除をする事ができました。
パートのUさんも参加してくれました。ありがとうございました。

枯葉がたくさんあって大変だと思っていましたが、前々日あたりの強い風で枯葉が端っこの方に集まっていたので短い時間で掃除をする事ができました。
パートのUさんも参加してくれました。ありがとうございました。
きれいになった境内

2009年12月17日
ヤフーダイエット結果
12月15日、ヤフーダイエットを始めて3ヶ月が経ちました。
結果は・・・
8キロの減量に成功!!おめでとう!!!
ということでとりあえず乾杯してみました・・・。リバウンドが・・・。

結果は・・・
8キロの減量に成功!!おめでとう!!!
ということでとりあえず乾杯してみました・・・。リバウンドが・・・。

タグ :ヤフーダイエット
2009年12月16日
告知!右内神社の清掃
12月19日(土)朝9時ぐらいから、三島市梅名の右内神社にてSTK掃除の会を実施します。
枯葉がたくさん落ちています。80歳ぐらいの方が(老人会の方など)毎月1日に清掃しているそうですが、この時期は枯葉が多く、体力的にも大変ということで、掃除の会のゴミ拾いを急遽右内神社の清掃にすることとしました。
昔は子供会など掃除をする方が結構いたらしいですが、少子高齢化でしょうか、先日神社の様子を見に行ったら、80歳の大工の棟梁とお世話になった宮守のKさん2人で枯葉の掃除をしていました。
お手伝いできる方がいましたら、当日現地でお待ちしています。
今年1年の厄払いも兼ねて、一緒に掃除しませんか?
枯葉がたくさん落ちています。80歳ぐらいの方が(老人会の方など)毎月1日に清掃しているそうですが、この時期は枯葉が多く、体力的にも大変ということで、掃除の会のゴミ拾いを急遽右内神社の清掃にすることとしました。
昔は子供会など掃除をする方が結構いたらしいですが、少子高齢化でしょうか、先日神社の様子を見に行ったら、80歳の大工の棟梁とお世話になった宮守のKさん2人で枯葉の掃除をしていました。
お手伝いできる方がいましたら、当日現地でお待ちしています。
今年1年の厄払いも兼ねて、一緒に掃除しませんか?
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泰青パパ
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2009年12月16日
皮膚病?
皮膚病!?ではありません…
泰誠のいたずらで自分の足にマジックで・・・。
本人曰く「まっくろくろすけ」らしいですが、ダルメシアン柄にしか見えないなぁ。
風呂でなかなか落ちませんでした~・

そういう自分も小さい時にマジックで自分の顔にめがねを書いた記憶があります・・・。遺伝なのか・・・。
泰誠のいたずらで自分の足にマジックで・・・。
本人曰く「まっくろくろすけ」らしいですが、ダルメシアン柄にしか見えないなぁ。
風呂でなかなか落ちませんでした~・

そういう自分も小さい時にマジックで自分の顔にめがねを書いた記憶があります・・・。遺伝なのか・・・。
2009年12月14日
パンのソフトクリーム?
白道祭の帰りに泰誠が伊豆箱根鉄道に乗りたいとということで、三島から田町駅まで近いですがママと乗ってきました。
自分は田町駅でお迎えでしたが、田町駅で温かいパンの上にソフトクリームがのっているものを発見。
テレビの県民ショウにも紹介された浜松発のものだそうです。


その他に生姜の飲み物も何種類かありました。おいしかったです。
自分は田町駅でお迎えでしたが、田町駅で温かいパンの上にソフトクリームがのっているものを発見。
テレビの県民ショウにも紹介された浜松発のものだそうです。
田町駅の改札の横に周りの雰囲気とちょっと違うコーナーが・・・。

パンのソフト食べてみました。

その他に生姜の飲み物も何種類かありました。おいしかったです。
2009年12月12日
白道祭~怪獣ガオラ~
今日はゆうゆうホールで白道祭がありました。泰誠が出るのは「野菜怪獣ガオラ」というお遊戯です。
今年の2月の白道フェスティバルでは一人であっち行ったりこっち行ったり、座り込んだりとしていましたが、今回は何とか先生やお友達の指導のおかげで踊りきることができました。ありがとうございました。

振り付けも思った以上にできていました。良かった良かった

お昼は朝五時から準備したママの手作り弁当です。有次のフライパンで焼いた青海苔入り玉子焼きがおいしかったです。


今年の2月の白道フェスティバルでは一人であっち行ったりこっち行ったり、座り込んだりとしていましたが、今回は何とか先生やお友達の指導のおかげで踊りきることができました。ありがとうございました。
野菜怪獣たいせい・・・どうやらジャガイモ役みたい

振り付けも思った以上にできていました。良かった良かった


お昼は朝五時から準備したママの手作り弁当です。有次のフライパンで焼いた青海苔入り玉子焼きがおいしかったです。

最後に看板の前でママと記念撮影

タグ :白道祭
2009年12月11日
シークレットサンタ
泰誠の1歳ぐらいかな?サンタの格好をさせたデータが携帯に入っていました。懐かしいです。

先日テレビを見ていたら、シークレットサンタというお話をしていました。「クリスマスは誰もが幸せになれる日」といっていたシークレットサンタの生みの親のテッドさんの言葉が印象的でした。クリスマスも近くいい話だったので、ネットもう少し詳しく調べてみました。
シークレットサンタ物語で出ていたので、アドレス紹介します。
http://www.personslink.com/secretsanta.html
以下、内容そのまま添付します。
アメリカでクリスマスになると、貧しく困っている人々に現金をプレゼントする男性がいた。
彼はいつしか『シークレットサンタ』と呼ばれるようになった。
「秘密のサンタクロース」として名前を明かしたのは
中西部ミズーリ州のカンザスシティーの郊外に住むラリー・スチュワートさん(58)の話です。
「ほかの誰かを助けることこそが、私たちの生きる目的なのだ」
1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に迷っていた。あまりの空腹に耐えきれず、
ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまった。
請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気づいた。
そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、
警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時だった。
一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、
20ドル札(現在約2400円)が落ちていたと渡してくれたお陰で、彼は会計を済ませることができた。
だがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を変える重大な鍵となる。
1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費にカンザスシティに移り住んだラリーは、
警備関係の会社を起こして懸命に働いた。
結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えた。
1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追いつめられた。
貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。
だが、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。
改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働いた。
だが彼はまたしても試練を与えられる。
1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのだ。
もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。
ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。
店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。
ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントした。
彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡した。
この日はクリスマスだった。
女性は嬉しそうに礼を言った。
その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになった。
そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、
白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。
そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。
シークレットサンタが誕生した瞬間だった。
20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで受け取ってもらえた。
それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。
家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかったと聞かれた。
ラリーは落としてしまったと答えた。
すると妻は怒るどころか、
『仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね』
と微笑むだけで文句を言わなかった。
翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。
そしてその年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けた。
そしてその金額は少しずつ多くなっていった。
不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、
長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになった。
ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。
彼は家族にも言っていなかったのだ。
彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのだが、
9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまった。
すまないと謝るラリーに、妻は
「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」
と答えた。
以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。
1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じた。
カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。
しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心はさらに高くなった。
一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。
そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。
その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。
28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。
本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気づいた。
20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。
男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。
ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話した。
そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。
自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、
ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した。
受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引かなかった。
当時テッドは、警察に突き出すのではなく、
自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。
それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話している。
テッドさんはラリーさんから渡された1万ドルを、
近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。
人を思いやる気持ちは健在だった。
そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。
2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、
ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。
2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、
27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になった。
だが昨年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かした。
彼は昨年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。
正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、
身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、
マクガイヤー記者は話します。
その反響は大きかった。
2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。
大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。
その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行った。
そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。
今年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。
それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込まれただろう。
生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、
会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。
今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない。

先日テレビを見ていたら、シークレットサンタというお話をしていました。「クリスマスは誰もが幸せになれる日」といっていたシークレットサンタの生みの親のテッドさんの言葉が印象的でした。クリスマスも近くいい話だったので、ネットもう少し詳しく調べてみました。
シークレットサンタ物語で出ていたので、アドレス紹介します。
http://www.personslink.com/secretsanta.html
以下、内容そのまま添付します。
アメリカでクリスマスになると、貧しく困っている人々に現金をプレゼントする男性がいた。
彼はいつしか『シークレットサンタ』と呼ばれるようになった。
「秘密のサンタクロース」として名前を明かしたのは
中西部ミズーリ州のカンザスシティーの郊外に住むラリー・スチュワートさん(58)の話です。
「ほかの誰かを助けることこそが、私たちの生きる目的なのだ」
1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に迷っていた。あまりの空腹に耐えきれず、
ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまった。
請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気づいた。
そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、
警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時だった。
一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、
20ドル札(現在約2400円)が落ちていたと渡してくれたお陰で、彼は会計を済ませることができた。
だがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を変える重大な鍵となる。
1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費にカンザスシティに移り住んだラリーは、
警備関係の会社を起こして懸命に働いた。
結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えた。
1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追いつめられた。
貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。
だが、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。
改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働いた。
だが彼はまたしても試練を与えられる。
1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのだ。
もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。
ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。
店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。
ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントした。
彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡した。
この日はクリスマスだった。
女性は嬉しそうに礼を言った。
その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになった。
そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、
白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。
そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。
シークレットサンタが誕生した瞬間だった。
20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで受け取ってもらえた。
それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。
家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかったと聞かれた。
ラリーは落としてしまったと答えた。
すると妻は怒るどころか、
『仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね』
と微笑むだけで文句を言わなかった。
翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。
そしてその年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けた。
そしてその金額は少しずつ多くなっていった。
不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、
長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになった。
ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。
彼は家族にも言っていなかったのだ。
彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのだが、
9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまった。
すまないと謝るラリーに、妻は
「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」
と答えた。
以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。
1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じた。
カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。
しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心はさらに高くなった。
一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。
そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。
その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。
28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。
本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気づいた。
20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。
男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。
ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話した。
そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。
自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、
ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した。
受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引かなかった。
当時テッドは、警察に突き出すのではなく、
自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。
それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話している。
テッドさんはラリーさんから渡された1万ドルを、
近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。
人を思いやる気持ちは健在だった。
そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。
2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、
ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。
2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、
27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になった。
だが昨年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かした。
彼は昨年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。
正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、
身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、
マクガイヤー記者は話します。
その反響は大きかった。
2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。
大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。
その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行った。
そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。
今年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。
それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込まれただろう。
生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、
会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。
今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない。
タグ :シークレットサンタ
2009年12月09日
魔法のキャンディー
先日、0さんから4歳児用に何かいい手品はないか聞いたところ、魔法のキャンディーという手品グッズを貸してくれました。
絵本の中の絵のキャンディがちょっと魔法をかけると本の中から大量の本物のキャンディが出てくるというちょっとサプライズな手品です。
泰誠の友達の家で子供たちを少し驚かそうと思い手品を仕込みました。
クリスマスも近いということで、前日ドンキホーテで仕入れたサンタ衣装で本番を迎えました。
友達の4歳児のハートはがっちりつかみましたが、本命の泰誠は・・・サンタになったパパにビビリ、目を合わせようとしませんでした・・・。
ディズニーランドに行くにはまだ早いかな?

絵本の中の絵のキャンディがちょっと魔法をかけると本の中から大量の本物のキャンディが出てくるというちょっとサプライズな手品です。
泰誠の友達の家で子供たちを少し驚かそうと思い手品を仕込みました。
クリスマスも近いということで、前日ドンキホーテで仕入れたサンタ衣装で本番を迎えました。
友達の4歳児のハートはがっちりつかみましたが、本命の泰誠は・・・サンタになったパパにビビリ、目を合わせようとしませんでした・・・。
ディズニーランドに行くにはまだ早いかな?

タグ :手品
2009年12月08日
伊豆箱根鉄道の旅②
昨日続きです。
三島駅まで来てしまい、とりあえず広小路まで電車で戻ることに・・・。駅員さんに事情を話し、改札を通してもらいました。

広小路のミスタードーナツで一休み。1時間以上歩いたので疲れました。泰誠も良く歩きました。


夜は実家から送られてきたハタハタで鍋をして、泰誠もおなかが空いていたのかばくばく食べていました。

三島駅まで来てしまい、とりあえず広小路まで電車で戻ることに・・・。駅員さんに事情を話し、改札を通してもらいました。

広小路のミスタードーナツで一休み。1時間以上歩いたので疲れました。泰誠も良く歩きました。

帰ってきてDVDをみながら昼寝中。

夜は実家から送られてきたハタハタで鍋をして、泰誠もおなかが空いていたのかばくばく食べていました。

2009年12月07日
伊豆箱根鉄道の旅①
日曜日、久しぶりに泰誠と二人で旅に出ました。
伊豆箱根鉄道に乗るため自宅から3キロぐらい離れた大場駅までまずは歩きます。


運良く踊り子号に乗れて、車窓見学。しかし、広小路で降りるはずが三島駅まで行ってしまいました・・・。

踊り子号は東海道線につながっていくのを知りませんでした・・・。続く・・・。
伊豆箱根鉄道に乗るため自宅から3キロぐらい離れた大場駅までまずは歩きます。
出発してすぐ天気が良く富士山がいい感じで見れました。

大場駅到着。とりあえず記念写真。

運良く踊り子号に乗れて、車窓見学。しかし、広小路で降りるはずが三島駅まで行ってしまいました・・・。

踊り子号は東海道線につながっていくのを知りませんでした・・・。続く・・・。
タグ :伊豆箱根鉄道
2009年12月05日
美味しいりんご
会社の社員さんの実家から美味しいりんごが届けられました。ありがとうございました。
長野のエコファーマー認定(山岸農園)のところからの「さんフジ」という品種で蜜がたっぷりのりんごで美味しかったです。

長野のエコファーマー認定(山岸農園)のところからの「さんフジ」という品種で蜜がたっぷりのりんごで美味しかったです。

2009年12月04日
3次元バイス
3次元の加工をするのに最新の機械が必要かというとそうでもありません。
色々な道具を使いこなして、最新の機械以上に加工を上手にする方法もあります。
そんな道具の一つに3次元バイスというものがあります。
使い方は秘密ですが、写真だけ公開します。使い方気になりますね。

色々な道具を使いこなして、最新の機械以上に加工を上手にする方法もあります。
そんな道具の一つに3次元バイスというものがあります。
使い方は秘密ですが、写真だけ公開します。使い方気になりますね。

2009年12月03日
命日~あれから10年~
今日は実家の父の命日です。丁度10年経ちました。会社の代表になってからも10年になります。
先日、実家からホタテが届きました。今はもうホタテの養殖はしていませんが、実家から送られてくる海産物を見ると北海道にいた頃を思い出します。

あれから10年、あっという間に過ぎてしまいましたが、父からの教えというものは今でも自分の中で生きています。
「人様に迷惑をかけないこと」「悪いことはしないこと」とシンプルな教えですが、それを守ってあとは自分の責任で行動することを教えられたと思います。(言葉でなく行動で)
これからの10年、後悔しないよう生き方をしたいと思います。その頃は泰誠も中学生です。想像があまりできませんが・・・。
先日、実家からホタテが届きました。今はもうホタテの養殖はしていませんが、実家から送られてくる海産物を見ると北海道にいた頃を思い出します。

あれから10年、あっという間に過ぎてしまいましたが、父からの教えというものは今でも自分の中で生きています。
「人様に迷惑をかけないこと」「悪いことはしないこと」とシンプルな教えですが、それを守ってあとは自分の責任で行動することを教えられたと思います。(言葉でなく行動で)
これからの10年、後悔しないよう生き方をしたいと思います。その頃は泰誠も中学生です。想像があまりできませんが・・・。
2009年12月02日
となりのトトロ②
となりのトトロ展の続きです。妻の携帯から撮った写真です。



トトロと泰誠とパパ。泰誠くんまだビビッています。

展示物でボタンを押すと猫バスが動いたりしていました。

売店前で泰誠とママと・・・・有名な熊?・・・名前忘れた・・・。

タグ :となりのトトロ